高橋 望 氏
関西大学商学部教授

1970年代に始まる米国の航空規制緩和に英国の空港民営化もあり、市場機構に信頼をおく経済政策が世界的潮流となった。しかし近年、こうした新自由主義政策に綻びが見える。時代の進展に伴い問題が複雑化し、市場は万能か、政府の市場介入はいかにあるべきか再検討に迫られるようになった。実際、わが国で国内航空ローカル線旅客数が幹線を上回ったのは規制時代からだが、自由競争下では競合機関の整備もあってネットワーク維持が難しくなっている。その結果、国内線と国際線の内部補助関係も逆転した。
航空と同様元来政府規制の強かった鉄道でも、1987年に公共企業体の国鉄がJRとなって民営企業としての期間の方が長くなったが、北陸新幹線延伸ルートをめぐる議論の過程でなされた「受益どころか”受損”のプラン」との発言に、違和感を覚えるのは筆者一人であろうか。利害関係者の顔ぶれがそれまで姿のなかった株主をはじめ大きく変わったこともあり、民間企業としての経営責任が問われるプロジェクト評価は社会的評価とは異なるのも当然かもしれない。「受損」発言は、私的利益と社会的便益の違い、かつて声高に主張されたが故に国鉄破綻の原因となった公共性への配慮の過不足の落差が背景にある。これは、民営化の影かもしれない。空港・新幹線・高速道路の縦割り型整備計画も総合的視点を欠くのではないか。
また建設に公的資金の投入を考えれば、自社負担額重視のルート選好は社会的総費用極小化と矛盾しないか。あるいは延伸ではなく現状でよいとの発想に対しては、乗換え解消の旅客利便性より自社利益を優先しているとの批判がある。さらに費用対効果によるプロジェクト評価について、技法的緻密性追求が恣意的操作性に繋がる危険性も指摘できる。
他方で輸送の社会的総費用が鉄道よりも代替機関の方が低い低密度線区の転換について会社間の差があり、地域間公平性の点で問題が残る。新幹線開業に伴う並行在来線切り離しによる貨物輸送の継続、ICカードの互換性、各社間をまたいで運行される夜行列車の廃止と共に、これらは分割の弊害ともいえよう。地元利益を優先するあまり他地域からの流動を軽視するなど、各主体が個別に合理的決定をしても全体利益に繋がらない「合成の誤謬」にも通じる。
当初経営が不安視された三島鉄道会社について、九州は株式上場を果たした優等生とされるが兼業部門の依存度が高く、本線でさえ地元自治体からサービス悪化の苦情が噴出した。かつて鉄道は雪に強い交通機関と評価されていた北海道でも積雪による運休の多さや復旧の遅れが目立ち、公共交通機関としての信頼性は大きく低下している。他産業のCSRを超えた公益性が公共交通に求められることは事実で、その解を市場に全面的に委ねられるか。
個人も組織もそして国も環境は常に移ろい、それに適切に適合できたもののみが存続し成長できる。経済理論も社会思想の一つであり時代の状況や要請により変化し、それを反映した制度改革も必要だ。個別民営空港の経営を優先するあまり他空港を廃止する政策提言もあったが、地域全体の総発着容量が減少し地域競争力低下を招く恐れがあった。公を疎かにした議論は将来に禍根を残す帰結をもたらしかねない。売却された空港運営権は期限付きなので民間による長期投資規模は最適か不安が残る。長期と短期で齟齬が生じる市場の失敗である。要素還元論に基づく個別利益追求から全体利益の実現に向けて、利己と利他、あるいは自由と自制の間で振り子が振り戻す時期が近づいているようにも思える。